海外騎乗記録

<コーナー説明>
このページは、典騎手がデビューしてから現在までの、海外での騎乗記録です。
海外初騎乗がとても辛い結果となった典騎手ですが、その後も毎年のように海外に遠征し、騎乗の機会を増やしてきました。国内での活躍も素晴らしいものですが、この海外への挑戦も典騎手の騎手としての重要な歴史です。
騎乗日 レース結果
1997 .4.3

アラブ首長国連邦ドバイのナド・アル・シバ競馬場で行なわれた「ドバイ・ワールドカップ」でホクトベガ(美浦・中野隆良厩舎)で出走したが落馬し、競走中止。
(同馬は、予後不良で安楽死処分となる。)

1997. 8.23

仏ドーヴィル競馬場で23.24日に行われた日仏騎手チャレンジに出場。
シリーズの結果は6位。

1994 .8.24 仏ドーヴィル競馬場 7R アンクロ賞(芝2000)ワイルドタイムで海外初勝利。
13頭中12番人気の馬での勝利でゴールではガッツポーズも出た
1998 .8.14

仏クレールフォンテーヌ競馬場 8R ラジオノスタルジカーン賞 セレヤに騎乗。
結果は9着。

1998 8.13 仏クレールフォンテーヌ競馬場 8R キングジャロに騎乗。結果は10着。
1998. 12.3 香港国際ボウル(GII)でロイヤルスズカ(栗東・橋田満厩舎)に騎乗。結果は4着。
1998. 香港インターナショナルライダーズチャンピオンシップ(HV)で2鞍騎乗。
結果は14着と2着。
1999 6.14  豪バリナ競馬場 4鞍騎乗。結果は1R2着・3R7着・4R4着・6R12着。
1999 8.14 仏ドーヴィル競馬場 7Rオンフルール賞 スキーノスに騎乗。結果は1着。
海外通算2勝目を挙げる。
1999 8.28  前走人気薄のところを勝利に導いた事が評価されて、再度スキーノスに騎乗し重賞挑戦する事に。仏ドーヴル競馬場 キンセー賞 結果は7着。
2001 8.11

英アスコット競馬場 ブルースクエア・シャーガーCに日本代表として参加。
世界選抜優勝に貢献する。
6R中5Rに騎乗し、最高着順は最終6Rパンジャマーの2着。 (世界選抜:Lデットーリ・Mデムーロ・Dフローレス・Gモッセ・Cウイリアムズ・横山典弘) 

2002 8.18  函館競馬場での落馬・負傷の為、 海外出張取りやめる。
2003 8.14  仏クレーヌフォンテーヌ競馬場 2鞍に騎乗したが結果は着外。
1Rマスターホーム・4Rカレッジボーイ。
2003 8.15

仏ドーヴィル競馬場 3R メルセデスベンツ賞(芝2000) レターリオンに騎乗。
結果は着外。

2003 8.16 仏ドーヴィル競馬場 7R ボロンビル賞(芝1000) ララッシュに騎乗。
結果は7着。

2003 8.17

仏ドーヴィル競馬場 3R マンチェグランドハンデ(芝3200) レッドクリフに騎乗。
結果は着外。

2004 8.8

英アスコット競馬場 ゴールドカップ(G1)イングランディーレに騎乗。結果は9着

2004 8.5 仏クレールフォンティーヌ競馬場 リズロン賞 ザナシンに騎乗。結果は12頭立てで8着
2004 8.8 仏ドーヴィル競馬場 モーリスドゲスト賞(G1) ドルバコに騎乗。
結果は18頭立てで18着。
2004 8.8  同日、バイユー賞 アルボヴィダーにも騎乗。結果は18頭立で着外
2004 8.9 仏クレールフォンティーヌ競馬場 ロベリア賞 タークアンドケイコスに騎乗。
結果は16頭立てで4着。
2004 8.9

同日、ロベリア賞(分割) ワイキキに騎乗。結果は15頭立てで着外

2004 12.12

香港シャティン競馬場 香港マイル(G1) テレグノシスに騎乗。結果は14着。

2005 5.12 仏シャンティ競馬場 仏オークス(仏G1・芝2100m)でバイタ(牝3 独・M.ヘーファー厩舎)に騎乗。結果は3着。
(パイタは社台Fの吉田照哉代表所有のドイツ馬で末脚はトップクラスとの評判。昨年、デビュー戦とG1クリテリウム・ド・サンクルーを連勝。
2005.8 .7 仏ドーヴェル競馬場 6R GUポモーヌ賞(3歳上牝 芝2500m) 再びバイタに騎乗。
結果は10頭立ての6着。優勝馬から一馬身半差であった。
2005.8 .8 仏クレールフォンティーヌ競馬場 カーン賞(OP 芝2200m) スターアウェイ(牝4 仏 Tクラウト厩舎)に騎乗。結果は17頭立ての8着。

豪バリナ競馬場にて
(深読向上委員会さん)